東京地方裁判所 昭和63年(ワ)1993号 判決 1988年12月26日
原告 小野一郎
同 池田貞子
右原告ら訴訟代理人弁護士 三戸岡耕二
被告 医療法人 財団小林記念会
右代表者理事 近藤芳夫
被告 山辺昌
右被告ら訴訟代理人弁護士 高田利廣
同 小海正勝
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告小野一郎に対し金三三〇万円、同池田貞子に対し金一八〇万円及び右各金員に対する昭和六二年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告らは、訴外小野ヤエ(以下「ヤエ」という。)の子であり、被告医療法人財団小林記念会(以下「被告法人」という。)は、訴外城南総合病院(以下「訴外病院」という。)を経営する法人であり、被告山辺昌(以下「被告山辺」という。)は訴外病院の内科担当の医師である。
2 診療契約の締結
ヤエは、昭和六二年二月一日転倒したため、訴外病院整形外科に入院し、被告法人と診療契約を締結した。
3 ヤエ死亡に至る経緯
ヤエは、右入院当時八八歳であり、入院後に訴外病院内科の診療を受け、被告山辺より、重篤な糖尿病との診断を受けて整形外科のリハビリテーション治療と内科の糖尿病の治療を受けていた。その結果、ヤエは、外見上入院前と同様の状態に回復して同年四月一〇日に訴外病院を退院し、以後原告小野一郎(以下「原告小野」という。)が自宅での療養看護に当たった。退院後、ヤエは、週一回の割合で通院し、被告山辺の治療を受けたが、その際も、原告小野がヤエに付き添って来院していた。ヤエは、同年九月二九日自宅で昏倒し、障子戸のガラス部分に頭部を突っ込んで右総頸部静脈を切断して、失血のため死亡した。
4 被告山辺の過失
ヤエは八九歳の高齢であること、同人は重篤な糖尿病患者であること、同人が昭和六二年二月一日訴外病院に入院したのは、糖尿病が一因となって自室において昏倒したことにあったこと及びヤエは糖尿病が完治して退院したものではないことからすると、被告山辺は、ヤエが前記退院をした後に糖尿病のため昏倒して思わぬ負傷をする恐れを予見できたのである。従って、同被告は、原告小野に対し、退院の際及び前記通院治療の際の家の構造や家族構成などヤエが自宅療養している状況に配慮し、夜間は家族がヤエに添寝をし、かつ周囲からガラス戸といった危険な物を排除するように指導助言すべき義務があった。しかるに、被告山辺が右義務を怠り、自宅での療養看護につき何らの指導助言をしなかったため、ヤエは前記のとおり死亡したものである。
5 損害
(一) ヤエの慰謝料 金六〇〇万円
ヤエは、当時八九歳であったが、被告山辺の過誤により死亡し、その受けた精神的苦痛は甚大であり、その損害を償う慰謝料としては、金六〇〇万円が相当である。
(二) 原告小野、同池田貞子(以下「原告池田)という。)の固有の慰謝料 各金一〇〇万円
原告らは、被告山辺の過誤により母ヤエを失い、その受けた精神的苦痛を償う慰謝料としては、それぞれ金一〇〇万円が相当である。
(三) 葬式費用 金五〇万円
原告小野は、ヤエの葬式費用を負担したが、被告らは、そのうち金五〇万円を負担するのが相当である。
(四) 弁護士費用 金六〇万円
原告らは、同人らの訴訟代理人弁護士に対し、本件訴訟の着手金として金二五万円を支払い、また、成功報酬として少なくとも金三五万円を支払う旨を約束した。
6 よって、原告らは、被告らに対し、診療契約の不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償請求として、原告小野に対し金三三〇万円、原告池田に対し金二八〇万円及び右各金員に対する不法行為の日の後である昭和六三年一二月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2の事実は認める。
3 請求原因3の事実のうち、ヤエが入院当時八九歳であり、入院後訴外病院内科の診療を受け、被告山辺より糖尿病との診断を受けて、整形外科のリハビリテーション治療と内科糖尿病の治療を受けたこと、ヤエが同年四月一〇日訴外病院を退院したこと、ヤエが退院後も通院し、被告山辺の治療を受けたことは認め、ヤエが背骨骨折で入院したこと、ヤエが退院後、週一回の割合で通院治療していたことは否認し、その余の事実は知らない。
4 請求原因4の事実は否認し、主張は争う。
5 請求原因5は争う。
三 被告らの主張
ヤエの死亡は、病院内の危険物によるものではなく、通院患者が家庭内の事故により死亡したものであるから、被告らには、ヤエの死亡につき予見可能性がなく、その家庭環境に鑑みるならば、むしろ原告らがヤエの生活上の安全を図るべきである。仮に、原告ら主張のとおり被告らにもヤエの家庭内における療養看護につき指導義務があるとしても、ヤエの本件転倒は、糖尿病による立ちくらみが原因ではなく、また、昏倒したからといって障子戸のガラスに頭を突っ込むものではないから、右指導義務の怠りとヤエの死亡との間には因果関係がない。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 請求原因3の事実のうち、ヤエが入院当時八八歳であり、入院後訴外病院内科の診察を受け、被告山辺より、糖尿病との診断を受けて整形外科のリハビリテーション治療と内科の糖尿病の治療を受けたこと、ヤエが同年四月一〇日訴外病院を退院したこと、ヤエが退院後も通院し、被告山辺の治療を受けたことは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実及び《証拠省略》を総合すれば、以下のような事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
1 ヤエは、昭和六二年二月一日、同人の自宅の一階廊下部分において転倒し、訴外病院に救急車で運ばれ、右側胸部痛と歩行困難を訴えた。同病院の整形外科の医師は、ヤエを変形性脊椎症、骨粗鬆症、第二腰椎圧迫骨折(陳旧性)と診断し、ヤエを同病院の第一病院の整形外科に入院させた。入院後の同月四日ヤエが内科の診察を受けたところ、急性腎盂腎炎を併発していることがわかったので、同人は、同月六日訴外病院の第一病院の内科に転科し、ヤエの診察治療を被告山辺が担当することとなった。
2 ヤエは、第一病院内科に転科した当初、グリコヘモグロビンAICが一七・一パーセントで、空腹時血糖が三六六mg/dlであった。被告山辺は、とりあえずヤエに対し、身長及び体重から割り出した一七単位食の食事療法と経口内服剤のグリミクロン療法により病状の経過をみた。ところが、同月一〇日の時点での同人の一日血糖は、朝三三五―四三四mg/dl、昼四五四―五八五mg/dl、夕五六六―五四八mg/dl、夜一一時五二九mg/dlと改善を示さず、グリミクロンの効果は現れなかった。そこで、同被告は、同月一三日インスリン療法に切り換え、アクトラットインスリンを一日当たり三〇単位ヤエに投与したところ、翌一四日には、ヤエは大分元気になった。ヤエは、同月一六日、糖尿病の治療と並行して整形外科のリハビリテーション治療も開始し、以後毎日原告小野は、ヤエが病院の中を朝夕五〇〇メートル歩行するのを補助した。同月一七日時点でのヤエの一日血糖は、朝二二八―一八六mg/dl、昼二五九―二一九mg/dl、夕二二九―二二二mg/dl、夜一一時一九六mg/dlとなり、同月一八日の時点での同人の空腹時血糖は二二四mg/dlとなってインスリン療法の効果が現れた。被告山辺は、翌一九日からはインスリンをモノタードヒューマンインスリンに切り替えてヤエに投与した。同月二三日時点でのヤエの一日血糖は、朝一六三―九三mg/dl、昼四三―五四mg/dl、夕八〇―一七二mg/dl、夜一一時一六九mg/dl、翌二四日のグリコヘモグロビンAICは、一四・七パーセントとなり、また、同日それまであったヤエの口渇がかなり治まった。同月二七日以降も、ヤエの病状は順調に回復したので、被告山辺は、その後、ヤエに投与するインスリンの量を減らして行った。翌三月二〇日の時点でのヤエのグリコヘモグロビンAICは一〇・五パーセントであった。被告山辺は、同月二三日、原告小野に「そろそろヤエの退院も近づいてきたが、退院すると、家族でヤエにインスリン注射をしなければならない。」旨を言ったが、同原告は、注射するのが大変であることを理由に自宅でのインスリン療法を拒否した。それで、被告山辺は、投薬を再び内服薬に戻すことを原告小野に話し、同月二六日には、インスリン注射を中止し、グリミクロン内服に切り替えた。また、同被告は、担当栄養士の藤原富子に対し、ヤエのために翌四月一日栄養食事指導をするよう依頼した。三月三〇日の同人の一日血糖は、朝九八―一七一mg/dl、昼一五八―一八二mg/dl、夕一四一―二一六mg/dl、夜一一時二一七mg/dlであった。翌四月一日、前記栄養士は、原告小野の妻に対し、ヤエが退院後も自宅において訴外病院に入院中摂ったのと同じ食事ができるように、一日の総カロリー、食品構成等具体的に栄養指導を行った。また、同日のヤエのグリコヘモグロビンAICは、八・九パーセントにまで改善された。そして、同月七日のヤエの一日血糖は、朝八六―一五七mg/dl、昼一五五―二一五mg/dl、夕一三七―二五二mg/dl、夜一一時二一八mg/dlであった。ヤエは、同月一〇日、急性腎盂腎炎が治癒し、糖尿病が軽快した状態で訴外病院を退院した。被告山辺は、退院に際し、原告らに対し、入院中の病状経過を説明し、次回の診察日を告げたが、自宅の間取りや障子戸等のガラス部分の有無を尋ねたり、家族に添寝を指示したり、ヤエの寝室からガラスを除去するように忠告することは格別にしなかった。
3 ヤエは、訴外病院を退院した後、原告小野夫婦に付き添われて同病院に通院した。被告山辺は、その都度ヤエ及び原告らに食事療法及び運動療法の実施状況について尋ね、糖尿病の治療につき指導した。その結果、ヤエのコントロールの状態は順調で、同年八月二四日時点では、グリコヘモグロビンAICが七・一パーセント、食後一二〇分の血糖値が二〇六mg/dlであり、翌九月八日時点では同血糖値が一八五mg/dlであった。同日被告山辺がヤエの膝蓋腱反射を調べたところ、正常であった。また、通院治療と並行して、ヤエは、自宅の近所の公園を朝夕一二〇〇メートル歩行する運動療法を行い、原告小野は、これを補助した。
4 ヤエは、訴外病院への入院及びその後の通院を通じて、神経障害、知覚障害がなく、起立性低血圧も年齢相応で正常であった。
5 同年九月二九日朝、ヤエが自分の寝室で転倒してガラス障子に頭部を突っ込んで右総頸静脈を切断し失血死しているのを、原告小野が発見した。
以上の事実を認めることができる。
また、《証拠省略》によれば、ヤエの寝室は畳敷で高齢者にとっては転びやすく、事故の当日もヤエはトイレを使った様子があること、あるいは、同室にあるテレビのスイッチを入れたり、新聞をとりに行く際に転ぶ危険もあったことが認められる。そうだとすれば、前記認定のとおり、ヤエは、訴外病院を退院する際は、糖尿病が軽快し、退院後のコントロールの状態も順調であって、血糖値もほぼ正常であり、運動療法も家族の協力により順調に進んでいたものであるから、ヤエが昭和六二年九月二九日に自室でガラス戸に突っ込んで死亡したのは、糖尿病とは無関係に、高齢であるために足元がおぼつかなく何らかの拍子で転倒したことが原因であると推認するのが相当である。
三 ところで、患者の診療を受けもつ医師は、患者との間の診療契約に基づき、患者及びその保護者に対し、患者の容態と疾病の自然的変化によって時々刻々と変化する生体反応に即応して、病状悪化を防ぎ、症状を改善するため適当な指導助言をなすべき義務があり、特に高齢の糖尿病患者の診療を担当する場合には、担当医が糖尿病患者であるがゆえに患者の安全をはかる上で特別に留意すべき事情を予見し得るときは、そのための指導助言義務を負っているものと一応いうことができる。しかしながら、ヤエのごとく高齢な者にとっては、およそ日常生活上の無数の物品が危険物となり得る可能性もあるのであるから、右以上に、医師に、通院患者の家庭内における日常生活上の事故態様を一々予想させ、危険物となり得るものすべての除去を指導助言させるのは非現実的であるのみならず、糖尿病治療のための診療契約債務の範囲を超えるものというべきである。自宅療養においては、患者が療養する周囲の環境等の安全確保は、原則として周囲の状況をよく知る家族等が、常識に基づいて、高齢者の身辺の安全を図るためにはどうすべきかを考え、そのための具体的な措置をとるほかないものであって、患者自身及びその家族等の守備範囲に属することといわざるを得ない。ヤエの病状は前記認定のとおりであったのであるから、被告山辺としては、糖尿病治療のための栄養療法と運動療法の指導助言を適宜行えば、ヤエの病状に即した指導助言の義務の履行を尽くしたというべきであり、それ以上に、ヤエの自宅の間取りや、寝室の状態、障子戸のガラス部分の有無、就寝態様等について質問調査し、本件の事故態様を予見した上、ガラスの除去あるいは家族の常時付き添い等を指導助言しなければならない義務を負うものではないことは明らかというべきである。
よって、前記二認定の被告らの指導看護の事実に徴すると、被告山辺に過失を認めることはできず、従って、被告法人にも診療契約の債務不履行及び不法行為の成立を認めることはできない。
四 以上によれば、本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 菅野博之 櫻庭信之)